ゆるく歩く

人の軌跡をたどる旅

関門海峡国道めぐり①早鞆ノ瀬戸を歩いて本州へ渡る!

門司港駅f:id:kame-nagare:20241006144743j:image

おはようございます。

JR鹿児島本線の終点、福岡県北九州市門司区にある門司港(もじこう)駅へとやってきました。

かつては九州の玄関口「門司駅」として栄えた駅でしたが、関門鉄道トンネルの開通以降は門司の座を大里(だいり)駅に明け渡し、貿易の玄関口、観光拠点として今でも賑わいをみせています。

門司港駅外観>

バナナの叩き売り発祥の地の碑>

駅前広場の脇の「バナナの叩き売り発祥の地」の碑。貿易による民俗資産です。

 

 

本日はそんな門司港駅を出発点とし、古代より交通の要所であった関門海峡沿いを通る5本の国道を散策していきたいと思います。

 

国道198号から国道2号の終点へ

では早速、国道198号を「桟橋通り」交差点へ向かって歩いていきます。

国道198号は所謂「港国道」。港湾法に定められた重要な港である門司港と旧1級国道である国道3号及び国道10号を接続する道路を結ぶ道路です。

実延長が0.6km、全国で4番目に短い国道となっています。

<国道198号>

 

桟橋通り交差点で国道3号・10号と合流した後は「鎮西橋(ちんぜいばし)」交差点へと向かいます。

 

鎮西橋交差点の脇にある「鎮西橋(ちんぜいばし)公園」。

<鎮西橋公園>

鎮西橋の由来はかつてここにあった堀川という運河を渡す橋名からです。

かつての鎮西橋には、旧門司税関前の第1船だまりから老松公園・甲宗八幡宮を経由して第2船だまりを貫く堀川と呼ばれた幅12m程の運河にかかり、多くの人々で賑わっていた。明治から昭和初期にかけ、桟橋通りから鎮西橋までの西本町通り(現国道3号)沿いには日本銀行門司支店・明治屋門司支店・住友銀行門司支店などの洋館が建並び、まるでロンドンのような雰囲気であったため、この通りは「一町ロンドン」と呼ばれていた。

この運河は昭和初期に埋め立てられており、現在では周辺の状況が大きく変わっているが、写真に示す橋柱のみが当時の鎮西橋の面影を示すものとして残されている。

公園内の鎮西橋跡案内板より

公園内には鎮西橋の橋柱が今でも残っています。

<鎮西橋の親柱>

 

国道はこの鎮西橋交差点から老松公園に向かって斜めに入っていきますが、この筋がかつての運河です。

ちなみに一部は暗渠として残っているそうなので、堀川としては現役ということになるのでしょうか。

<鎮西橋交差点から老松公園方面>

かつての堀川に思いをよせつつ国道に沿って進んでいきます。

 

明治二十三年の地図では国道の左手は塩田となってたようで、この塩田の境目が後に運河として使用されたのですね。

門司市 編『門司市史』,門司市,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1050964 (参照 2024-10-06)

 

老松公園前交差点に着きました。

<老松公園前交差点>

九州を左回りで鹿児島に至る国道3号と九州を左回りで鹿児島に至る国道10号の始点、そして国道2号の終点です。

数か月、672.3kmぶりの国道2号。本日の花形です。

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関門国道トンネルで本州へ渡る

ここからは国道2号を歩いていきます。

東本町2丁目交差点脇に建つ、趣のある建物は明治32年創業の酒屋さんの旧家屋です。

<岩田家住宅>

 

酒屋さんの旧家屋を超えると関門国道トンネルが見えてきました。

関門トンネル

料金所の上から、関門国道トンネルの入り口上から、それぞれ景色を楽しむことが出来ます。

関門トンネル料金所>

門司の地名の由来には関所という意味が含まれているという説がありますが、門司が初めて古文書に登場した古代から1000年以上たった今でも形を変え本州からの人の往来を制限する関所を持っていると思うと胸が熱くなります。

 

この筆立山の入り口は自動車専用なので、歩行者と軽車両は和布刈神社近くの関門トンネル人道入口へ。

途中、甲宗八幡宮にも寄っていきます。

 

廃墟のラブホテルの脇に甲宗八幡宮境内へとつながる鳥居を発見。

入っていきます。

<ホテルバンビ>

 

由緒書きと神社本庁より長老の位を授与された宮司様の銅像

當神社は清和天皇貞観二年(860年)大宰大貮(おおすけ)清原真人岑成勅命を奉し神功皇后の召し給いし御甲を神璽として宇佐神宮より當地に御鎮座爾来外朝西門鎮守日本精神具現文化啓導産業開発の神と志て累代の将軍領主等の尊崇厚く元和年中細川公入國の後神領を寄付をせつれ卋人の尊崇厚く小笠原公の入國以来府内五社の上位に列し幣帛を奉らる昭和二十年六月戦災を受け全焼直に佼殿を建設し昭和二十八年三月戦災復興に着手昭和三十二年八月には特に宗社に御昇格昭和三十三年四月御鎮座壹千壹百年大祭を執行昭和三十七年十一月二十五日社殿竣工奉告祭を執行す

甲宗八幡宮由緒書きより

この由緒書きには記されていませんが、甲宗八幡宮WEBサイトには、

神社創建に携わったとされる行教という人物の逸話が記されています。

以下要約――

860年に行教という人物が宇佐八幡宮の分霊を石清水八幡宮に移す途中に筆立山へ立ち寄った際、上空に瑞雲がたなびき、八流の幡(やながれのはた)を天降(あもり)して、行教の袈裟を照らしたため、この地に宇佐八幡宮の分霊を祀り、神功皇后の甲を御神体とした門司八幡宮(甲宗八幡宮)を創建した。

www.kosohachimangu.jp

八流の幡は宇佐八幡宮に関わりの深い伝承で、大陸から伝わった、戦に勝った際に建てられる旗、軍神の登場を示しています。

良くわからないですが、行教さんは不思議な体験をしたのでしょう。

<甲宗八幡宮

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参道脇には本居宣長の歌碑。

「海の外おきつ ちしまも 天皇の稜威 かしこみ いつき まつろふ」

……これはどういう時世を詠んだものなんでしょうか。

他にもこの神社には平知盛の墓があるそうなのですが、見つからず……

先に進むことにしました。

<甲宗八幡宮表参道>
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県道261号門司東本町線を北に歩いていきます。

この辺りの字名を「旧門司」といいます。

つまり元はこの辺りが元祖門司。今では小森江(こもりえ)を超えて西は大里(だいり)、南は恒見(つねみ)の方まで門司区ですから大出世です。

 

大きな鳥居が見えてきました。

<和布刈神社鳥居>

和布刈神社はもう少し先かと思っていましたが、ここから参道ですね。

横にある公園内に門司関址(もじがせきし)の碑があるので、立ち寄っていきます。

<門司関碑>

門司は都と大宰府を結ぶ重要な地で大化二年(646年)こゝに海峡往来の人や船等を調べるため門司関を設け九州第一の駅とした。むかしより詩歌等に数多く詠まれている。次の歌は承徳元年(1097年)源俊頼大宰府の任を終え帰京の途中に詠んだものである。

行き過ぐる 心は門司の 関屋より とどめぬさゑに 書きみたまけり

行き過ぎた心は門司の関から止まらないので、書いている。

アツい詩ですね。分かります。私も早く関門海峡を渡りたくてしょうがないんですよ。

 

ということで、過ぎ去ろうとしたのですが、同公園内に「猿猴河童塚」「戒」と書かれた碑があり、ついまた足を止めてしまいました。

猿猴(えんこう)河童塚>

河童の猿猴は四国山陽で語られる妖怪。九州にも上陸していたとは。

これもこの辺りが古くから本州との渡海点である所以でしょうか。

 

ノーフォーク広場に沿って歩いていきます。

ノーフォーク北九州市姉妹都市を結んでいるバージニア州ノーフォーク市にちなんでつけられたというそうですが、元は柁ヶ鼻という名前がついていました。

 

広場には不思議な形をした岩がありました。f:id:kame-nagare:20241011213523j:image

名前がついていても不思議じゃない形をしていますが、調べても全然わからず、比較的新しいものなのかも。

 

その先には平家の一杯水と呼ばれる史跡があります。

<平家の一杯水(産湯井)>f:id:kame-nagare:20241011213600j:imagef:id:kame-nagare:20241011213616j:image

この史跡付近から見る関門橋がかっこいいんですよね。

関門橋f:id:kame-nagare:20241011213612j:image

関門橋をくぐるといよいよ和布刈神社の本殿が見えてきます。

 

<和布刈神社>f:id:kame-nagare:20241011213526j:imagef:id:kame-nagare:20241011215649j:imagef:id:kame-nagare:20241011213505j:image

和布刈神社の由緒について『角川日本地名大辞典』によれば

社伝によれば仲哀天皇9年に神功皇后によって創建されたと伝える。もとはハヤト社・ハヤトモ社と呼ばれていたが、文化6年速戸社を正式名とする。しかし和布刈神事が著名なためやがて和布刈神社と呼ばれるようになった。

角川日本地名大辞典 和布刈神社 より

和布とはワカメのこと。

和布刈神事の始まりについて、門司市史をみると、「海幸山幸(うみさちやまさち)」の伝説もあるようです。産湯の井の伝承もそこから来たんですね。

ハヤト・ハヤトモの当て字「隼人」はそこから来ているのでしょう。隼人勢力の中心からは北に離れていますが、河童の猿猴だって伝わっていますからね。

 

供物として採用されたワカメはこの地に自生していたものだったようで、朝廷への献上品にもなったりしています。

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この関門海峡で一番狭く潮流が激しいところを早鞆瀬戸(はやとものせと)といいます。

鞆というと円弧型の囲いや渦のようなものを連想しますが、似たようなものがこの一帯にもあったのでしょうか。

門司や下関の伝承には穴門という、門司と下関はかつて同じ山でつながっていて、その山に速い潮の流れのある穴があったというものがあります。

この伝承には、穴門の他に穴戸、速門という表記ゆれが見られますが、速門は神武天皇東征伝承の日本書紀「速吸之門」と同じ類の名づけだと思います。

有名なのは大分県の速吸の瀬戸(豊予海峡)(古事記では吉備の先、明石海峡)です。

「穴門」には、洞門の意味合いが強く含まれますが、別に海峡のことを門と言っていたなら、洞門に限った話ではありません(門=ミナトという読み方もありますし)。

 

さて、そんな関門海峡にはもう一つ壇ノ浦という有名な地名があります。

主に下関側で呼ばれていた地名で、門司側にはあまり言い伝えはないのですが、『角川日本地名大辞典』によれば

今川貞世「道ゆきふり」には「此うらを壇のうらといふ事は,皇后のひとの国うちたまひし御時,祈りのために壇をたてさて給ひたりけるより,かく名付けつとかや申すなり」とあり,「豊府志略」には「府中二宮の沖潮涸際に二宮の三の華表あり,夫より波夜止毛の明神まで五百壇の石の階あり,故に,今に至る迄壇の浦とは云へり」とある。

角川日本地名大辞典 壇ノ浦 より

神功皇后三韓遠征の帰還後に祭壇を立てさせ、忌宮神社の方から和布刈神社まで500段の石段があると。

 

これ石段?まさかね。

<和布刈神社石段>

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関門トンネル人道

では、和布刈神社から県道に上がって、石段ではなくエレベーターで海底に向かいたいと思います!

関門トンネル人道入口>
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青森県には階段国道がありますが、こちらはエレベーターの国道です。

海面下51mまで下っていきます。階段に換算すると建築基準法で決められた段差の高さが23cm以下になるので、222段以上の段差になりますね。

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地下階につきました!

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全国に5つあるといわれる海底人道トンネルのうち唯一国道の海底人道トンネル。

人道部分の長さは780mです。

参考

川崎港海底トンネル人道1965m

新潟みなとトンネル850m

関門トンネル人道780m

衣浦トンネル人道480m

海底地下道(黒部漁港)40m

 

歩きます!

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県境まで来ました!

ここが海底トンネルの最深部海面下58mです。

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あと300m!

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歩き切りました。

780m?あっという間でしょ!と思っていましたがしっかり歩きごたえがありました。

 

ということで本州上陸!対岸に古城山と和布刈神社が見えています。f:id:kame-nagare:20241012131632j:image
手前を通る道路は国道9号そして海岸に沿ってあるのは「みもすそ川公園」です。

 

関門トンネル人道脇にある関門プラザで小休憩。

<関門プラザ展示>

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門司港駅から3.5km。距離の割に情報量の多い旅になりました。

帰り方はこれから決めたいと思います。

ご一読いただきありがとうございました。